いかにして原爆と向き合うか   S.M


 1945年の8月16日の広島で起こった惨劇について一つも知らないという日本人はいないだろう。誰もがその話に触れるたび、怒り、悲しみに包まれるはずだ。もちろん私も原爆の話に触れるたびに、このようなことが起こっていいはずがないと憤ったり、悲しみに包まれたりするのである。今回のこの課題でも同じだ。私は、「ヒロシマ・ノート」と「被爆者とともに」の二つの書籍を読んで、被爆直後や被爆から20年までの人々の行動に触れることになった。

 「ヒロシマ・ノート」の著者、大江健三郎氏は原水爆禁止大会から複数回、広島を訪問し、複数の当事者に合って話をし、それをこの一冊にまとめ上げた。彼は実際に被爆した人間ではないが、当事者と多くかかわることで、このように、自分の原爆に対する感情、意見を一冊にまとめた。では私はどうだろうか。もちろん、大江氏のように一介の女子高生が本になるまで自分と原爆をまとめることはほとんど不可能に近い。とはいえ自分の原爆に対する考えをまとめて文章を書けるのではないか、と思っていた。だからこの課題を経て私の原爆に対する考えを文章にまとめようとした。しかしできなかった。有り余る感情を、冷静にまとめることができない自分がいた。そんな実体験を通して、再び「ヒロシマ・ノート」を読んだ時、大江氏の冷静さやその一方でこちらの感情を揺らす技術を実感した。

 「被爆者とともに」ではおもに原爆医療史に焦点を当てて原爆を私に伝えてくれた。資料、といった方がわかりやすいような書籍であったのだが、そこには、ある医師が自分の命を賭して救命活動に当たろうとしたことや、ある医師はいち早く原爆症に気づき行動に移したことが記述してあった。もちろん、その医師たちも被爆し、自身にも家族にも被害が及んだり、命の淵に立っていたりするのに、だ。医師を目指す私はその姿に震えた。驚くべきは、そのような医師が多くいたということだ。自分だってわけのわからない、力の不足を感じ、不安に駆られる中で、人々を救おうとし不安を取り除こうとする医師が、多くいたのだ。夢が叶って私が医師になれたとして、そんな医師になれるまで一体どんな人生を歩む必要があるのだろうか。果てしない人道の道だとそう感じた。

ヒロシマ・ノート」の中では、自殺してしまった人というのが多く出てくるように思える。もともと私は自殺に対して否定的で、せっかく原爆から助かったのにその命を自ら絶つなんて、と思っていた。しかしそれは一種のおごりなのかもしれない、どこの課題を通して感じた。各人が何を思って自殺を考え実行してしまったのか、それは人の数だけある事は間違いない。ただ、原爆が、生存者すらもじわじわと蝕んだことは、白血病といった病気の面だけでなく、そのような精神の面からも明らかである。
私は、様々な媒体を通して被爆者の声に触れてきた。しかし実際に被爆者に会ったことは一度としてない。いくら辛くても、この経験をしなければ、人として一歩先には行けない、そのような気がしてならない。私がまだ触れたことのない本物の声。本物の声に出会えるチャンスはこれから先確実に減ってしまう。それは変えようのない事実だ。だから、これも、語り継ぐべきで当事者でない私たちも当事者に関わって、そしてまとめて、語り継がねばならない。「ヒロシマ・ノート」は当事者でない人物が当事者に関わることでできた書籍。だから、私たちがこれから見る原爆、の形に近いのだと思う。一方、「被爆者とともに」は被爆者の目線から書かれた資料が大変多く、この2つの書籍を読むことで、多少なりとも原爆に対する知識は得られたと思う。

どちらの本にも痛ましい出来事がたくさん描写され、読みたくない、怖い、かわいそう、という感情に何度も何度も襲われた。それでも過去の出来事の痛みから目を背けることなくこの課題をこなすことが、命を扱う生命論の授業の一歩として重要だと思っている。ここから一年間、命という大きく、取り留めのないものに触れ議論する上で必要な素養である、現実を見据える目を鍛えられたのではないかと思う。