差別との向き合い方   H.T

 
 この本を読んで、自分の中でハンセン病問題に対してどう向き合っていけばいいのかわからなくなってしまいました。ハンセン病感染症でないと判明してからもなお差別を続けた人、感染病であると思っていたとしてもハンセン病患者だからと言って酷い仕打ちをしてきた人を批判することはできます。何も知らないまま、何も知ろうとしないまま、何も悪いことをしていないハンセン病患者の方たちを傷つけ、苦しい思いをさせていたことには怒りを覚えます。ですが、感染するような重い病気を持った人がいたとして、私はその人のことを快く受け入れられるかどうかわかりません。その人は病気になりたくてなったわけではないだろうし、普通に生活することを望むであるだろうことはよくわかります。よく受験期に教室で咳をしている人がいると、「かぜがうつったらどうしてくれるんだ」と怒り気味になる人がいますが、その気持ちもよくわかります。今はハンセン病に感染の心配がないことが分かっているのでその人たちに対して距離をとるようなことはありませんが、当時私が生きていたらどんな行動をとっていたかわかりません。ひどい言葉を投げつけたり誹謗中傷の手紙を送りつけたり、劣悪な施設内での生活を知ってもなんとも思わなかったり、なんてことは絶対にないと思いますが、普通に接することはできなかったと思います。それを今考えてもどうにもなりませんが、ハンセン病問題に限らず、誤解や偏見を持たないよう常に正しい知識を得るよう心がけることが一番大切なのだと感じました。
 もう一つ、こういった差別問題に対して考えたことがあります。どの本を読んでも、愛生園の方に話を聞いても、「ここにいた人たちはかわいそうな人なのではなく、つらい時代を生き抜いてきた強い人である」というようなことがよく言われます。つらい時代を生き抜く強い人にさせてしまったことはとても悲しいことであって、責任を感じますが、この言葉に私がこれからハンセン病患者の方たちにどう向き合っていくかのヒントがあるように思いました。「ハンセン病を生きて 君たちに伝えたいこと」の筆者は、自らの望む人生のために施設脱走という大きな行動を起こしました。そして彼の歩んできたつらい人生、多くの心無い人によって傷つけられてきた事実を、攻撃的な記述をするわけでもなく起こるわけでもなく、私たちに事実を伝えるために丁寧に思いを綴っています。もう一冊私の読んだ「てっちゃん」という本に描かれているてっちゃんは、ハンセン病の特効薬が普及してからも重い後遺症に苦しまされました。目と指、正常な声帯と皮膚の神経感覚を失った彼は、繊細で美しい詩を読み、「らい(ハンセン病)になってよかった」とまで言うのです。彼は半分溶けたような顔であっても表情は明るく、自分の顔に誇りを持っています。私がもしこの本を読む前に彼に会っていたとしたら、間違いなく「かわいそうだ」と思うでしょう。その気持ちは間違ってはいないと思います。彼も自分自身の運命を憎んだことがないわけはないと思いますが、「らい」でない人生を彼は知りません。自分の人生と比べるのではなくて、その人自身の人生を見て向き合うことが、理解に繋がるのではないかなと思います。
去年私はハンセン病のことをそんなによく知らないまま長島愛生園に行き、そこで初めてハンセン病についての歴史を知りました。その時もいろんなことを考えさせられましたが、本を読んでから行けばより良い経験になったと思います。今年愛生園に行くまでには、もう少しこのハンセン病問題について考えてみたいと思います。