ハンセン病        I.R


今回、私は課題図書である「ハンセン病を生きて」と、岩波現代文庫徳永進著の「増補 隔離」を読んだ。「ハンセン病を生きて」は、もともとハンセン病患者であった著者が、自分の人生を振り返りながら、若い世代に向けてのメッセージを伝えるという内容であった。「増補 隔離」は、筆者の長年のハンセン病患者の方との交流を通じ、一人一人の話を記録した内容であった。私は、「ハンセン病」という名前は聞いたことがあっても、どういう病気なのか等全く知らなかったので、今回この二冊を読んで多くの知識を得ると共に、その事実に愕然とした。課題図書である「ハンセン病を生きて」の内容を主に触れつつ、自分なりの意見を述べていきたい。
 「ハンセン病を生きて」の始めは、「2001年5月11日」というタイトルで始まる。まだ私がこの世に生まれ出ていない頃、熊本地方裁判所で起こされたハンセン病国家請求訴訟が、原告側の完全勝訴で終結した。89年間も続いた国の隔離政策は誤りであったと、裁判所が認めたのだ。国は控訴することも出来たが、控訴することはなく、この判決に対する政府声明を出すにとどまった。当時の官邸の動向も資料から知ることが出来たが、控訴せず、賠償責任をはたすとの当時の小泉純一郎首相の決断は、本当に英断と呼ぶべきものだと思う。賠償したからといって、ハンセン病患者の方の、隔離政策によって奪われた人生における長い、長い時間は戻って来ない。それでも、過ちであったと認め賠償に応じる姿勢によって、確実に何かが変わったと思う。賠償の判決が出てから現在までは、私の年齢と同じ17年だと思うと短く感じるが、それでも止まっていた過去が動きはじめ、徐々に変化していることに変わりはないだろう。自分が生まれた年に起こった出来事であるだけに、なにか親しみのような感情がわいてきたのも印象的だった。
 次の章では、私がこの本を読んでいて一番印象に残った言葉があった。それは、「善意の衣をまとった社会意識」という言葉である。これは、「アイスターホテル宿泊拒否事件」についての記述の中ででてくる。社会的被差別者が、自分より高い社会的位置にステップアップしようとすると、とたんにその人々を攻撃し始める。これは「限度を持った同情意識」であると筆者は言う。そして、その「限度を持った同情意識」が差別・偏見そのものであることに、当人たちは全く気づいていない。これが、「善意の衣をまとった社会意識」だと言うのだ。残念ながら、これは今でも存在する意識だと思う。そして、この意識は自覚をもって直そうとしない限り、対象者を変えて生き続けるのだと思う。大人は、子供よりもずっと多くの知識を得ているはずだ。それなのになぜ、このような行動をしてしまうのだろうか。これは、本の中でも出てくる問いであり、私自身も小学生のころから考えていた問いであった。
 この問いに、自分なりの答えを見出せたと思う。今回の読書を通じて、気づかされたのだ。それは、大人なのに、ではなく、大人だからこそ陥ってしまう意識、そして意識に基づく行動なのだということである。子供は何も知らない。経験もない。だから、起こったこと、教わったことをすべて、自分の感情で受け止める。それがどれだけ差別をふくんでいても、ある感情にまみれていたとしても。そこに常識はなく、判断するのに拘束するものは無いだろう。しかし、大人は知っている。知りすぎてしまったとでもいうべきであろうか。常識が当り前で、その意識が正しいかをあまり考えない。今までの経験、などという言葉で片付け、常識を疑い、自らの目や耳で知ろうとすることを忘れてしまっているのではないだろうか。経験は素晴らしいものであるが、その経験に頼りすぎてはいけないと思う。過去は大きく変わることがある。今回私が取り上げた「ハンセン病」のように。私は、自分で知ることの大切さを、大人になっても意識し続けたいと思う。少なくとも、「善意の衣をまとった社会意識」を抱かないように、抱いていると思われないように、常に“知ろうとする”大人でありたいと強く思った。
 最後に、「増補 隔離」にも少し触れておきたい。これは一人一人の記録であるから、一つの感想として述べるのは難しい。しかし、当時の間違った常識、知識によって故郷を追われ、何十年もの間隔離されていた人々の悲しみ、辛さは、到底私達が推し量ることのできないものだと思う。どの人の記録を読んでも、胸が締め付けられるような心地であった。しかし、そのような当時の意識も含め、知ろうとする姿勢は、何かを変えることができると思う。私はこれから、一年間の生命論の活動を通して、自分も、ひいては周りも変えていけるよう、精いっぱい「知る」という活動に取り組みたいと思った。