「ハンセン病を生きて」を読んで    I.K


 ハンセン病国家賠償請求訴訟は原告が勝訴し、国は控訴を断念した。その時、ハンセン病回復者が語った、「明日から人間として堂々と歩いて行ける。ようやく人間になりました」という喜びの声がハンセン病隔離政策前後、またそれ以前のハンセン病患者に対する差別の全てを物語っている。
 二〇〇三年に起こった、アイスターホテル宿泊拒否事件ではなぜか被害者であるはずの療養所にたくさんの差別文書が送られている。匿名で出すからと言って何を書いてもいいという訳ではない。確かに日本には難病患者がいて巨額の治療費に困窮している家庭も多くあるだろう。そしてかつて劣悪な衛生環境で発症していたハンセン病もそういった病の一つと考えられてもいいはずだった。しかし、実際は未発達の科学と法律に押しつぶされ、隔離され、「天罰だ」と差別されてきた。家族にも差別の目が向けられ、家族に会いたいと願って療養所を脱走すればまるで囚人のごとく扱われる。これのどこが「ただの」難病なのだろうか。勝訴のニュースだけを知った国民は、「働かずに大金を手に入れられるのか」と思っただろうが、彼らは私たちが計り知れないほど多くの大切な時間を失ったのだ。家族と団欒出来たかもしれない時間を奪われたのだ。
 私はこの本の他に「隔離」(岩波現代文庫)というハンセン病の元患者の方々が語った、それぞれの体験談をまとめたものを読んだ。かなり衝撃的な体験談ばかりだが、母親になってまだ間もない女性が罹患してしまい愛するわが子に泣かれながらも別れてしまった話。故郷に帰りたいと願い何度か脱走を試み、ようやく家にたどり着いたら母に、「もう二度と帰ってくるな」と言われもう死んでもいいと思った男性の話。どの話も凄絶でまた、今の私には想像しにくい家族愛や郷土愛に突き動かされ、拒絶されてきたハンセン病の元患者の方々の苦悩に満ち満ちていた。もしかしたら数年後に読んでみたら彼らの気持ちが痛いほどよく分かるかも知れないのでこの一連の出来事を忘れないためにも再読したい。
 このような過ちの歴史において最も恐れなくてはならないのは記憶の風化であるということは想像に難くない。ではどうすればいいのか。私が初めてハンセン病のことを知ったのは小学生の頃に使っていた資料集の五センチ四方ほどの小さな特集である。それを見てほんの少し調べたことを覚えている。幸い、今はインターネットという便利なものがある。それは何も害だけがあるわけではない。常に情報を求める姿勢。損得を抜きにして心で感じてみること。それこそこれから私たちが過ちを繰り返さないために身に付ける基本的なことだろう。無知、無関心をなくすために。