ハンセン病についてのレポート   K.H

  

ハンセン病とは、らい菌(Mycobacterium leprae)に感染することにより、皮膚や神経に症状が現れる感染症のひとつです。
古くから存在している感染症の一種ですが、原因菌の感染力は非常に弱く、多くの方が自然免疫を持っているといわれています。
すでに治療方法も確立されており、後遺症を残すことなく完治することが期待できます。日本における新規患者数は毎年数例ですが 、世界では年間約21万人の新規患者が報告されています。

  1. 課題図書「ハンセン病を生きて きみたちに伝えたいこと」伊波敏男著と「花に逢はん」同著を読んで

 「ハンセン病を生きて きみたちに伝えたいこと」の第一章は、2001年5月11日から始まります。著者のハンセン病国家賠償請求訴訟の判決に対する緊張がはっきりと伝わってきます。この部分を読んだとき、なんだかよくわからないがとてもいいことなんだろうと感じました。しかし、この直後にある「いつまでも感傷にひたってばかりはいられません。これは『終わりのはじまり』にしか過ぎないと、気を取り直しました。」という文で、附高祭の原案が代表委員会を通過した後の気持ちに似ているような気がしました。
 近代日本における国家のハンセン病対策は、明治40(1907)年の全国を浮浪徘徊しているハンセン病患者を収容することが目的の「癩予防ニ関スル件」から始まり、昭和6(1931)年の「癩予防法(旧法)」ではすべてのハンセン病患者が強制収容の対象になりました。しかし、昭和18(1943)年にハンセン病の特効薬プロミンが開発され、ハンセン病は治る病気になったにもかかわらず、昭和28(1953)年に強制隔離を法律の中心とする「らい予防法(新法)」が制定されました。多くの国民はこの法律改正について無関心であったため、数少ない入所者たちの闘いは敗れてしまったのです。今は、インターネット、特にSNSを通じて誰でも簡単に意見をたくさんの人に知らせることができたり、収集できたりします。もし、今の状況でプロミンが開発されたのなら、国民の関心は相変わらず低いとしても、その時点でニュースになり、インターネット上でたくさんの人が知り、法律改正運動が起こっていたのではないかと思います。国際的には治療薬の臨床効果が明らかになるのに従い、1960年代になると多くの国々で隔離政策が廃止されていきますが、日本が「らい予防法」を廃止したのは平成8(1996)年のことでした。当時の厚生大臣であった菅直人は、国の政策で苦しんできた人々に謝罪しましたが、その言葉の中には多くの問題点がありました。この問題点を解消するために一部の入所者は、ハンセン病国家賠償請求訴訟をします。この訴訟について、入所者の中で賛成と反対に分かれました。私が思うに、本来なら入所者は全員賛成すべきです。反対した理由はたくさんの理由があったと思われますが、そのように消極的になってしまったのは、これまでの政府を含め国民の対応が原因だと思います。ハンセン病特効薬プロミンが開発されるまでは国の政策は適切であったかもしれません。しかし、開発された後の行動によって、さらに法律廃止が遅れてしまったことは否めません。
 「ハンセン病を生きて きみたちに伝えたいこと」で私が特に興味を持ったことは、第三章「子どもたちが風を起こした」でした。1997年に出版された著者の伊波敏男の自伝花に逢はん」をT小学校の五年生のあるクラスが教材として使用し、ハンセン病問題をテーマに学ぶ、というものです。ちょうどそのクラスではいじめや仲間外れなどの問題があったそうです。この章を読み進めていく中で、私は花に逢はん」を読んでみたくなり、読んでみました。
 「花に逢はん」は戦争の話から始まります。これは著者が戦争中にハンセン病に感染したと考えられるからでしょう。沖縄愛楽園の中で、著者は沖縄と本土との壁、社会との壁、法律との壁などのたくさんの壁に直面します。その壁を乗り越えることをあきらめるのではなく、乗り越えようとする著者の生き方にも感動しましたが、自分を支えてくれる人がいることにも感動しました。私も支えてくれる人に感謝して生きていこう、そして、私も支える人になりたいと思いました。
 なんとなく著者の自伝ではないかと思っていましたが、実際に読んでみると、自伝ということはあっていましたが、戦争も絡んでくる、読みやすいもののかなり重いものでした。どのように教材として扱ったのかはわかりませんが、もし全部を小学生が読んだとしたら、とてもすごいと思います。
 小学生たちは、身近な問題であるいじめや仲間外れを足掛かりとしてハンセン病について考えていきます。私は、ハンセン病問題は身近に類似する問題がなければ、理解することが難しいと思います。小学生なら特にです。しかし、小学生だからこそ、素直に受け止めることができ、あのように考えることができたと思います。