ハンセン病   M.R


 ハンセン病。私はこの病気を高一の時、SSHの授業で知るまで聞いたこともありませんでした。小学校でも中学校でも取り扱ったことはありません。言い方は良くないかもしれませんがそれくらい日本人にとってマイナーな病気ということなのでしょう。ハンセン病が流行ったその当時も人々は病気について何も知らなかった、だからハンセン病患者は病気で苦しむだけでなく差別や偏見などの余計な苦しみを味わう羽目になってしまったことにとても胸が痛みました。私はこの本を読んでハンセン病への理解を深めることが出来たと素直に思いますがそれが果たしてどの程度の理解なのかは実際よく分かりません。もしかしたら私の心の中にも差別意識があるかもしれません。でも「無知・無関心」こそ人間の罪なのではないかと思いました。もちろん誰にだって知らないことはありますしそれはしょうがないことだと思いますが知らないなら知ろうとすればよいのに頭ごなしに否定し平気で人を傷つける人がいる限り差別や偏見は無くならないのだろうと思います。実際日本はハンセン病患者の問題を放置し続けてきました。ハンセン病について正しい情報が知らされていれば差別や偏見はなかったかもしれないのに。だから知る機会を得た私達が伝えなければならないのです。しかしそれと同時に私のような知ろうとする側の人間でも患者を傷つけてしまうことがあるのではないかと思いました。三年生になったら長島愛生園に行きますが、そこで接するハンセン病患者に私は同情したり気を使ったり、そういう風に接してしまうのではないかと思いました。でもハンセン病患者の方々はそんなことは望んでいないだろうし、著者の伊波敏男さんの「心の想像力を働かせることによって、私たちは他人の痛みに近づくことが出来ます」というメッセージからただ暖かい心を持って接することが一番良いのだろうと感じました。もう一つの感想文でも被災者たちを支えるのは人々の暖かい心だ、と気付かされたと書きました。テーマは違えども結局私たちに一番必要なのはヒトを想う心なのでしょう。もう一冊、私は黒坂愛衣さんの「ハンセン病家族たちの物語」を読みました。この本はハンセン病患者の家族の苦悩が細かく記されています。ハンセン病患者は隔離されていたため家族とも一緒に生活できず、またその家族も差別の対象となり虐げられてきました。ハンセン病患者の肉親の存在を隠したり、時にはその肉親を憎んだりしてもその苦しみを乗り越え再び繋がる家族が描かれていてとても苦しくなりました。この本のまとめに印象に残った文章があります。「語る」ことと「沈黙」について書かれたものです。本ではもちろん語る側のハンセン病患者の話が書かれていますが、著者が明かしたように語りたくない人や語った内容を知られたくない人も大勢いてその人たちが沈黙する側になるのは決まって家族や友人のためのようです。その人たちの痛みを分かち合うようにして自らも語ることをしないと決めた人たちがいることを知り、そういう寄り添い方もあるのだなと感じ、先にも書いた伊波さんのメッセージを思い出しました。ハンセン病患者の家族たちは心の想像力を働かせているのです。そして私たちも彼らの「沈黙」をめぐって想像力を働かせなければならないのです。
最後に著者が自らの病気について書いたのは私達に正しいことを知ってもらい、過去の過ちを繰り返さないでほしいという思いがあるから、つまり本の題名にある「きみたちに伝えたいこと」とはその思いなのだろうと思います。だったらこの本を読んだ私のやるべきことは知っていることを知らない人に伝えること、また自分の発言や行動に責任を持つことです。現代社会ではそれが出来ている大人は余りに少ないと感じてしまいます。昔から何も変わっていないのです。でも私はそんな大人にはなりたくない、だから人として当たり前のことを決して忘れない暖かい心を持った人になりたいです。