「ハンセン病を生きて-きみたちに伝えたいこと」をよんで S.K


 私は今までハンセン病に関しての知識を全く持っていなかった。どのような病気なのか、どのような問題が起きていたのか、それどころか日本で起きていた問題ということすら知らなかった。この本を読み終えた後、私は今までの自分の無知を本当に恥ずかしく思ったし申し訳なく感じた。ハンセン病との闘い、偏見との果てしない闘いを初めて知り、私の心の中に何とも表現し難いくやしさ、歯がゆさ、様々な感情が浮かんできた。ここから、差別はなぜ起こるのか、どうすれば解決できるのか、それを考えていきたいと思う。
 まず、差別がなぜ起きるかについて考えたい。私たちは、自分を中心とした世界の中でそれぞれが生きている。その一人一人が集まって関わり合い、協力し合いながら共存している。そしてその集団の中で生きているうちに、その世界が自分にとっての「当たり前」となる。その「当たり前」はもちろん全ての人に通用するわけではない。それでも私たち人間は、頭ではそれを理解していても、心で理解することが難しいのだ。自分の中の当たり前がこの世界の全てであり、それと異なるものを敵とみなす。ハンセン病の場合、「異なるもの」が容姿という最もわかりやすい部分にあらわれてしまう。それがゆえに、大昔から差別が続いてきたのだ。またハンセン病の差別は、それだけが理由ではない。それは、国という大きな力を持った存在による影響だ。私は国のハンセン病に対するこれまでの姿勢、対応のあまりのひどさに、これは本当なのだろうかと思いたくなるほどだった。大きな力を持つものがそのような態度をとれば、国民は何の疑いもなくそれを信じるのだろう。それが一番「楽」であるからだ。「危険だ」といわれれば、あえてその存在に寄り添おうと思える心の広さは持っていないのだ。人間は自分の利害を一番に考える生物だ。そして私もその一人なのだ。その人間の心こそが差別が起きる原因なのだろう。
 次に、なぜ解決できないかについて考えたい。それには多くの理由があると思うが、まず一つに、無関心があると思う。誰かが辛い目に合っていても、自分には何も関係ない。そのような利己的な考えも、多くの人間が無意識に抱いてしまっているのだ。関心を持たなければその問題について知ることも、疑問を抱くこともできない。ハンセン病の問題に関しては、多くの人がハンセン病への誤った嫌悪感を持っていた。だから、一見無関心とは違うように見えるかもしれない。しかし、人々が関心を持たなければいけないことは、ハンセン病についてだけではないのだ。一番関心を持つべきことは、ハンセン病にかかった人々についてのことなのだと思う。その人々の苦しみ、心情をもっと知ろうと思っていれば、同じ人間に対してこのようなひどい扱いは決してしなかっただろう。また、差別が続く原因のもう一つに、解決するための明確な手段がないことだ。差別は人間の感情によって生まれるものだ。だから、誰かが声を上げても、たとえ国という大きな力を使っても、一度生まれた差別は、解決できるという保証はどこにもないのだ。特にハンセン病は、とてつもなく長い間、人々の間で差別の対象とされてきた。それほどの長い年月で人々の心の中に蔓延った差別という根は、簡単に取り除くことが出来るわけがない。私は、ハンセン病の基礎を知るために、「ハンセン病と人権」という本を読んだ。この本の中で、ハンセン病に対する差別は今なお続いていると書かれていた。ハンセン病の患者の親戚が、結婚が何度も破談になったという。この本の中に、「表面化しないから差別がないのではなく、表面化しないことにこそ偏見、差別の深刻さがあります。」という文章があった。「表面化しない」とはつまり、普段口にすることはないが、心の中でそのような意識を持っているということだと思う。人間の心を変えることは何よりも難しいことだと思う。さきほども述べたが、これは誰かの力で変えられるものではない。自分自身が学び、知って、変えようという意思を明確に持たなければ、決してその心の中を変えることはできないのだ。私は、この一文はまさに差別の根本的な原因を象徴しているように感じた。
 私は今まで、差別についてあまり深く考えたことがなかったし、今の日本の中に差別を受けている人々がいるという事もほとんど知らなかった。しかし時々テレビ番組などで差別を取り扱うものを見たことがある。私は、このようなものを見るたびに、私たちのような差別を知らない世代に、あえて「このような人々が差別を受けている」などと教えることは、逆にそれが差別意識を生む原因になるのではないかという疑問を抱いていた。しかし私はハンセン病のことを学んでから、自分が間違っていたということに気付いた。「歴史はくりかえす」のだ。ハンセン病への差別は、人間の心から生まれた。同じような悲劇は、また起こる可能性はいくらでもあるのだ。これを防ぐためには、過去の過ちを学ばなければいけないのだ。私たちは学ばなければ、きっとまた同じ過ちを犯してしまうのだ。今の日本では、医療の発達、衛生環境の整備によって、ハンセン病の発症者はほとんどいないそうだ。しかしそれは決して、差別の終わりではないのだ。差別をなくすため、起こさないためには、学ばなければいけない。私はこのことを、ハンセン病を学ぶことで気づくことが出来た。
 ここまで差別について考えてきたが、改めて差別は本当に難しいものだと思う。そのような簡単な言葉で済まされるものではないが、やはり難しい。差別を解決するために私たちが出来ることは何なのだろうか。やはりそれは、学ぶことだと思う。一人が学んでも、それによって世界を変えることはできない。それでも、私たちは学び続けなければいけないのだと思う。
さいごに、この本の中で私が一番印象に残っている人物を紹介したい。それは、著者の伊波さんが学生時代に出会った「山口」だ。私は、この二人の会話の部分が一番好きだ。ハンセン病と聞いても何の偏見も持たず、病気が原因で自分の殻に閉じこもる伊波さんに対してみせたまっすぐな熱さは、本当に美しい。私は、このような人間になりたい。