ハンセン病    S.M


 近年、QOLという言葉を耳にする機会が多い。QOLとは、Quality of Life 、生活の質という意味だ。医療現場において、ただ病気を治し症状をなくすだけでなく、むしろ病気を治せなくても生活の質を向上させることにも観点が置かれている。現在の医療はそのように暮らし全体に密接している。ハンセン病を考える上でQOLは重要な観点の1つだろう。ハンセン病の治療、という点ではすでに特効薬が開発されている。その先の後遺症のケアや整形術によってQOLは向上するだろう。しかしそれだけで良いのだろうか?
 「ハンセン病を生きて―きみたちに伝えたいこと」と「ハンセン病医療ひとすじ」(犀川一夫著)をよんで、私はハンセン病患者のOQLの向上について考えた。ハンセン病という病気自体、目につきやすいところに症状、二次症状が起こりやすい。だからひと目で、人は「この人は私と違うのだ」という意識を強く持つ。その意識と何らかの悪意が、やがて差別を生み出す。患者に向けられる差別の目は、もちろんQOLを低下させる。
 ハンセン病を薬で治せるように、科学によって私たちは病気に勝つことが出来るようになった。病気が治る、という事はその症状による不自由を改善できるわけだから、もちろんQOLは向上するはずだ。しかし、社会に一度植え付けらえた差別意識は、科学の力ですぐに排除することはできない。それはハンセン病の歴史が示している。治る病気であること、感染力の弱い病気であることを科学が証明しても、隔離が必要なものでないことを示しても、一度持った「常識」をアップデートしようとしない。間違った「常識」を盾にそして鉾に、患者を攻撃する。あまりにひどい、何の正当性もないのに当然だといわんばかりに攻撃する。それに対して私は、大きな憤りを感じる。
ハンセン病が治る病気になった後にも、やはり、ハンセン病患者に対する差別が無くならなければ、QOLは向上しない。しかし、いったい何人の人がハンセン病を、そしてその差別の歴史を知っているだろうか。ハンセン病患者に対する社会的差別については、少々の事前知識を持っていた私だが、正直、偶然知る機会があっただけで、ひょっとすると私だって、ハンセン病もその差別も知らないまま大人になっていったのかもしれない。まず、多くの人がハンセン病とその歴史を知ること、ハンセン病患者の受けた悲しみをなかったことにしないこと、そしてもう二度とこのような歴史を繰り返さないこと。知った人から行動しないと、人間はこの負の歴史を忘れてしまう。
まだ治療法の分からなかったハンセン病を治療しよう試行錯誤した時代、プロミン開発の時代、そして差別的な法律を撤廃しようとした時代、社会に残る差別を無くそうとした時代。それぞれに戦いがあった。それでは今は?今まで戦ってこられた患者さんやその活動家に敬意を示すこと、その安息を願い、もう戦わなくていいようにすること、そして忘れないこと。それが私たちに求められる態度であると考えた。
ハンセン病患者を今も苦しんでいることがあるか、あるとしたら何であるか、そして、患者さんが望む未来は。その答えは、今は知ることが出来ない。なぜなら、私の読んだ書籍は二つともあまり新しくないからだ。一昨年の夏、私は長島愛生園を訪問し、実際にハンセン病患者の方のお話も聞いた。その時に、「ハンセン病患者さんは可哀想な人ではなく、強く生きてきた人たちだ」というお話を聞いたのを覚えている。率直に感動したのを覚えている。またその強さに触れたいと思うし、そんな彼らの今までの戦いを、今の姿を、誰かに伝えたいとも思う。
このレポートの主題にしていたのは、QOLであった。ここからは、QOL向上にはどうすればよいかを考えたいと思う。一番大事なことはもちろん、ハンセン病患者の今の声に耳を傾けることだ。これはすべての関係者に出来るはずだ。もちろん、一介の訪問者にも。社会全体で、QOLを向上できる、というよりそうすべき時代になっていると、そう考えた。