マウスの解剖実習(3D25 みぃ)

遅くなってごめんなさい。
マウスの解剖実習の感想です。


1ヶ月育てて(と言っても餌あげてケースの掃除をしてってだけですが)そいつを自分の手で殺すってのはなんとも不思議な気分でした。
悲しいとか怖いとかそういう感情が表立って出てこなかったのですが、腹膜にハサミを入れたときは少し抵抗を感じました。
肉は紙や布とはまた違った感触だったので、「人間のお腹をひらくときもこんな感じなのかな」なんて不謹慎なことを考えてしまいました。
先生がマウスの心臓に注射針を刺し、血液を抜いていくとマウスの弱々しい動きがさらに弱く、そして動かなくなりました。でもそれは私に何の感情も抱かせませんでした。私が自分の手を汚していないから、何とも思わなかったんだと思います。普段お肉をいっぱい食べてるのに、解剖実習は嫌がって気持ち悪くなる人の心境がちょっとわかった気がします。
後は内臓を一本の肉の紐にして出してみたり、各器官をバラバラにして観察したり、子宮内の胎児を取り出して観察してみたりしました。その光景はとても凄惨なものに見えたかもしれません。人間とマウスの立場が逆転した世界だったとしたら、私がもしかしたら解剖されていたかもしれない。それはとても残酷で悲しいことかもしれません。ただ、私には想像することしかできませんが。
ノーベル賞をとられた利根川先生も免疫の研究のために何匹ものマウスの胎児を取り出してミキサーにかけていたらしいです。やはりその作業は精神的に辛いものであったと後々本で語られていました。
自分のしていることは本当にマウスの命と量りをかけることができるだけの価値があるのか。しばらく考えてしまいました。しかし解剖実習を行わなければそう考えることもなかったと思います。
自分は犠牲になったものの価値に足るだけの存在になっているのだろうか。それはまだわかりません。
しかしこの問いの本当の価値は「無知の知」と同様考えなかったことを考えるようになること、これが価値なんだと思います。

しかし私は精神的に得たものは不確かで目に見えないので、目に見える形でも価値を取り入れたかったです。それもどうかなとダーウィンダーウィンモアの話をきいていろいろ悩んでしまいました。

マウスさんたち、ありがとう。

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