活動報告5/25

今回の授業では、様々な問題を倫理的に物事を考えることをした。

「倫理的に考える」とはどのようなことなのかについて学んだ。まずある問題について自分の意見を出す。そしてなぜ自分はそう思うのかを考える。それから判断基準は何か、その判断基準で物事を見た時に何か他に問題は起こらないのかについて考える。

授業ではどこまで許されるのかについて以下の問題を考えた。

出生前診断について〉

①自分たちで出生前診断をして、障がいがある確率が高い結果の時に、中絶をする判断をする

私はどちらかというと反対だ。子を育てる過程で難病になったり、事故で手足が麻痺したりするなどという可能性のひとつに障害を持って生まれるというのが含まれると思うからだ。そもそも子供を育てるという決断にもっと重く覚悟をもたないといけないと思う。友達の意見で、障がいがある子を産んだ時に母親が責任を感じることがあるというのをきいてすごく共感した。

先生からは、本当に自分が決めているのか?本当に経済的に大丈夫であれば中絶しないという判断をするのか?という問いかけがあり、まだ自分の中でこたえをだせていません。

 

〈デザイナーベビーについて〉

重篤な遺伝子疾患を避ける

人はどこから人なのか、そもそも検査をすること自体が区別しているのではないか、というような意見が出た。

②耳の聞こえない夫婦が耳の聞こえない子供を望む

私は反対だ。健全な状態からどう手を加えるにせよ、生まれてくるその子の意思とは無関係だからだ。実際この遺伝子組み換えをやるとなった時、それを施さなければならない医者はどのような気持ちになるだろうか、傷つけていると思うのではないかという意見もあって医者の視点も大切だと思った。

そのデザイナーされた子が可哀想と思うということは、心のどこかで障がい者は可哀想だと思っているということに気付かされた。本当は差別したくないしダメなことだとわかっていてもどこかでそう思ってしまう自分がいる。これを自覚することがまず大切だと学んだ。

また、障がい者は不幸なのか、障がいは個性なのか、という話も出た。

③兄弟を助けるために移植しても拒否反応が起こらない子供を望む(授業では取り扱っていない)

3B20

進化5月18日

ラマルクが世界で初めて進化について考えたひと(フランス革命前後)

キリンの首はなぜ長いか

もともとキリンの祖先は首が短かった。ある時点で環境が変化して木の上のほうの植物を取ろうとする。

これをラマルクは獲得形質の遺伝と考えた

ダーウィン

世代を重ねて変化していく。生物には変異があり、変異のいくつかは遺伝である。

有利な変異形質を持った個体が環境によって残されて、適した個体のみが生き残っていく。

 

進化の要因

世代を重ねる毎に集団内にその変異を持つ個体の比率が増える(突然変異、自然淘汰など)

 

生物だけでなく、社会も変化できるものだとする社会ダーウィニズムという考えが出てきた。

社会の進化が求められた

進歩と進化を同一と見なす誤解がうまれた。

 

ゲノム編集はアリかナシか

デザイナーベビーはどうなのか

私はデザイナーベビーは反対だ。きっと貧富の差が広がったり、みんな同じ顔や能力になって紛争などがおきたりするだろうと思うからだ。

 

 

 

 

 

人は小指は実はいらないという話を聞いた。1000年後にはもしかしたら人間は指4本になっているかもしれない。

活動報告5月11日

生命論3回目の授業では森中先生から遺伝子疾患や遺伝子操作についての講義を受けました。

今回、大きくわけて2つのテーマについて話をしました。1つ目は遺伝子診断についてです。遺伝子診断によって分かった知能や運動神経などの能力でランク付けを行い、それぞれ教育を変えるべきではないかという話題で、大多数が賛成ではない様子でした。私もこの考えには反対です。そもそもこれを実行したとしても上手くいかないと思います。まだ確実では無い遺伝子の情報で他人の人生の選択肢を奪うのは将来の技術の進展や発見の機会を失っていることになり、国の立場から見てもデメリットが大きいように感じます。

知能や能力に関してはこのように否定的な意見が多かった遺伝子診断ですが、出生前診断着床前診断はどうでしょうか。出生前診断とは染色体の異常や微小な欠失について調べることが出来る診断です。最初は陰性でも陽性でも産まれてくる赤ちゃんをどのように迎えるかを考えることが出来るため良いものだと思っていましたが、話が進むと、それは生命に優劣をつけて選択をしているのではないかという意見が出て少し納得してしまい、私の中では結論をつけることが出来ませんでした。

2つ目のテーマは遺伝子操作による遺伝子治療についてです。このテーマについての話題として鎌状赤血球貧血症の話を聞きました。貧血の症状が出る鎌状赤血球貧血症の遺伝子は致死率の高い病気であるマラリアに対する耐性を持っています。鎌状赤血球貧血症やマラリアはアフリカで特に多い病気のため、アフリカでは正常な人の遺伝子も鎌状赤血球貧血症の遺伝子に書き換えるべきでは無いのかという問題でした。私はこの場合、致死率の高いマラリアの耐性を持つことを優先するべきだと思い、遺伝子治療に賛成でした。ですが遺伝子治療が許されるとどの程度のものまで治療するのかといった問題が出てきました。確かに希望制にしてしまえば、外見や内面、能力などの操作も可能となり、デザイナーベイビーだらけになってしまいます。このような遺伝子操作は産まれてくる人間の人生を自然のものから大きく変えているにも関わらずその変化に責任を持たない、尊厳を奪う行為だと思うので私は実現して欲しく無いため、最終的に意見は反対に傾きました。

では、障がいや遺伝子疾患についてはどうでしょうか。一見良いことのように思えますが、同じように考えると障がいを悪いこと、病気だと考えていることが前提になり、考えを産まれてくる子供に押し付けることになります。

私はこの授業を受けた段階では、遺伝子の操作は病気の治療だとしても行わない方が良い、自然の原理に無理に介入しない方が良いという考えになりました。もちろん、遺伝子診断や遺伝子治療は今まで治らなかった病気を治すという面で言うととても素晴らしい技術だと思います。ですが実行にはたくさんの倫理的問題があり、その多くが答えを出すことが難しい問題です。今後も生命論の授業を通して、正しい知識を得てたくさんの意見を咀嚼して自分なりの考えをまとめていきたいです。

B04

活動報告4月27日

今日は二回目の授業で、生命倫理学についてや、倫理的な視点から動物実験などについてみんなで考えました。始めに「動物実験は許されるのか」という問いが与えられそれについて議論し、では動物と人間は何が違うのか、例えば「人間は知性という点で動物と違う」とするならばどういう問題が起きるのかなどどんどん深掘りしながら考えていきました。僕は初め動物実験を行なっても許されると考えていて動物実験によって医薬品等が安全かどうか調べることができるからと考えていたのですが、議論していくうちに確かに実験に使う動物がマウスとチンパンジーでは抵抗感に違いがあることや、マウスを実験に使うことは納得できるのになぜウサギを使うことには納得がいかないのかなど自分が考えることができていなかった問題がたくさん出てきて、「動物実験は許されるのか」という問いを深く考えれていないんだなと感じました。

 

もっと倫理学的に根拠や明確な基準を持って考えていかないとなと感じました。

 

A28

活動報告4月13日

今日は生命論初回の授業でした。ガイダンスと自己紹介、アンケートを行いました。

自己紹介では、生命論を選んだ理由と、この1年で頑張りたいことについて共有しました。生命論を選んだ理由は人によって様々でしたが、他の人の考えを聞きたいという人が多かったように思います。生命論で扱う内容は、1人で考えると思考がぐるぐると混乱してしまうようなテーマが多いと思いますが、そんな時に他の人の考えに触れることで、自分では思いつかなかったような新しい視点を得ることが出来ると思うので、私自身も沢山の考えを聞いて自分の考えを深めていきたいです。

また、ラットの解剖をしたいからと話していた人もいました。私もラットの解剖には興味があり、生命論を選んだ理由の1つなのですが、正直今は、自分が育てたラットを解剖することが自分に出来るのかどうかも分からないし、とても怖くて不安です。しかし、先生のお話を聞いて、もし「育てる」という過程がなく解剖するだけだったとしたらこんなにも重く受け止めなかっただろうなと感じました。自分が育てた命を自分で奪うという行動から何を感じるのかは簡単に予想できるものではありませんし、もしかするととても苦しい思いをするかもしれませんが、その経験から自分が感じ取るもの全てを大切に留めたいと思います。

生命論を終えた一年後に、命に対する向き合い方を自分なりに見つけられていたらいいなと思います。

A01

 

 

活動報告(令和3年度 9月30日)

今回は「感染症について」の講義を大阪市立大学の土屋先生からしていただきました。

講義受けるにあたって、先生から事前に課題をいただき、「ハンセン病隔離」についての動画を視聴しました。動画では、感染症というものに対しての日本の間違った政策、また周囲の人の冷たい差別などの実態を目の当たりにしました。本当に日本で起こっていたことなのかと胸が痛む内容でした。


感染症というと、数年前から世界を一変させてしまったコロナウイルスが印象に強いかと思います。また、SARSやインフルエンザなどの名前も聞いたことがあるかと思います。今回はそれらとどう向き合っていくべきかというテーマを念頭に講義していただきました。講義では、そもそも感染症とは何なのか、そのリスクや特定病因論、またワクチンについて教えていただきました。大変分かりやすく教えていただき、現在日本で早急に行われているワクチン接種などについても正しく理解することが出来ました。講義の後半では、私たち生徒が考えてきた質問に答えていただきました。丁寧に、私たちが理解できるように答えてくださったため、また深い学びを得ることができました。


感染症についての差別は全くもって許されるものではありません。しかし、人間の本能として、未知のものや自分に危険を及ぼす可能性のあるものには恐怖を覚えてしまいます。そのせいで、感染症に感染した罹患した人を遠ざけてしまうのです。現代でいうコロナ差別などはその典型であると思います。しかし、感染症について正しく理解して、それほど怖いものではないんだと理解することから初めて見るのが大事ではないでしょうか。決して罹患した人の人格を否定するような差別を起こさないように、その理解の一歩に私たちがなるべきだと強く感じました。

D33

活動報告(令和3年度 9月16日)

今回「不妊治療、生殖補助医療」について藤田先生から講義を受けました。講義を受ける前に課題として我が子よという新聞記事を読みました。そこには私の想像をはるかに超える夫婦間の雰囲気が悪くなってゆく様や終わりのない治療等読んでいて辛くなりました。13人に1人は体外受精で産んでいるという記事を見て医学の進歩に驚きました。
講義では妊娠の経緯など初歩から丁寧に教えて下さりとても分かりやすかったです。特に驚いたのは不妊治療の中でも顕微鏡や体外受精等種類がある事でした。
また里親制度では子供にいつ自分達が産んだ母親ではないということを伝えるのか、という問題で私は子供に罪はない、だからこそ辛い思いをさせない為にはやくから打ち解けるべきなのかなと思います。何も言ってくれなかったら隠されてのかな、と私なら不安に思うからです。

医学が発達し子宮移植という言葉まででてくるようになりました。安全性等の問題はクリアしなければならない課題だとは思います。ですが私はいづれは承認してほしいと思います。産んだ本人しか母親と戸籍上は登録されてしまう。だからこそこの制度が認証されれば母親と胸を張っていえるのではないかと思います。

私は将来子供を自分のお腹から自然に妊娠し産みたいと思っています。しかしそれは当たり前ではないのだなと痛感しました。よく高校生で妊娠したなどという話を聞きますが何故望んでいない人達に子供が出来、望んでいる人には妊娠することが出来ないのだろうとつい思ってしまいました。しかし私が不妊治療を受けるかもしれない、その可能性は誰にでもある。だからこそこのような正しい知識を現場の方お医者様教えていただけたのは私にとって大切な機会だったなと思いました。 C27