ラットの解剖 感想 A35

 わたしは、自分のラットに加えて、川合さんが解剖してくださる分のラットの、二匹を世話していた。二匹ともメスで、周囲の人には止められたが、「めろちゃん」「ユキちゃん」と名付けた(名前の由来についてはノーコメント)。めろちゃんとユキちゃんがこの学校に来た6月22日には、およそ一か月強後にはこの子たちを自分たちの手で解剖するということに実感が持てず、フンフン鼻を鳴らして、周囲を嗅ぎまわる二匹がとてもかわいいな、とそれだけを感じていた。その次の日から毎日のお世話が始まった。最初はおそるおそるといった感じで世話をしていたが、だんだん慣れてきてとても楽しくなっていった。それはめろちゃんたちも同じで、最初はわたしの手から逃げ回っていたが、時間がたつと撫でさせてもらえるようになった。わたしは、その日から毎日写真を撮ることも決め、その成長を記録していった。二匹ともとてもおとなしく、飼育ケースの底にしく紙くずをばらまくこともなかったし、逃走を試みることもなかった。まだまだだいぶ先の話……。と思っていたが、やはり月日が経つのは早いもので。解剖する二週間前、妊娠をさせるために、めろちゃんの嫁入りが決まった。お相手は、オスの中でも一番といっていいほど大きいじゅんくん(仮)。最初同じゲージに二匹を入れた時、二匹は取っ組み合いのけんかのようなものをしてしまったため、とてもハラハラした。妊娠することはできるのか、そもそもケンカして死んじゃったりしないか……。不安にさいなまれたが、それは杞憂だった。三日もたつと二匹は仲良しそうに暮らしていた。ユキちゃんは全体が奇数で、女の子が一人多かったため、唯一の独身となってしまった。めろちゃんがお嫁に行ってしまってペアの人に世話を任せることも出てきた分、毎日世話をしているユキちゃんがとてもかわいく見えてくるようになった。そして少しずつ少しずつ解剖の日は近づいていき、やがて前日になった。最後の世話は全員、いつになく長く丁寧にやっていた印象だった。泣いてしまうかも、と思ったが泣かなかった。

 いよいよ、解剖である。解剖直前の講義で、心の準備はできていたつもりだった。川合さんの解剖用だったユキちゃんが全員の例として解剖された。エーテルを入れた瓶の中でだんだん眠くなっていくユキちゃんを見て、正直、涙がでてきたが、我慢した。そのあとは、他に何も考えないようにして先生の説明に集中した。やはり、写真やスライドではよくわからなかったところも本物を見ることで理解できた。気持ち悪いとか、見たくない、という感情は一切わかなくて、引き込まれた。一通り説明が終わり、いよいよわたしたちが解剖する番となった。妊娠しているかどうか確認するためにメスを先に瓶へ入れることになった。いつもは暴れないめろちゃんは、紙くずの下に潜って出てこようとしなくなり、手袋をしたわたしの手から逃げ回った。捕まえようとしているうちに涙が溢れてきて、手を動かすことができなくなった。この期に及んで渋ってしまうわたしが情けなかった。自分が望んで取った授業でこうなることもわかっているのに、泣いてはいけないと思っていた。そのとき、何も言わないでくれていたペアの人には感謝したのとともに、申し訳なかった。早くしないと、あとが詰まっているし、解剖する時間がなくなってしまう。わたしは、ありがとうなのか、ごめんなさいなのか、どう思えばいいかわからなかった。たぶんそのときわたしはなにも考えていなかった、いや、考えられなかったのだと思っている。記録の一つとして、自分への戒めとして、めろちゃんが眠っていく様子を動画に収めた。そのとき、めろちゃんはどう思ったのだろう。考えてもきりがないし無駄だろうが、そう思わずにはいられなかった。眠ってしまってからは、しっかり勉強させてもらおうとそれだけを考えて解剖をした。実際に触ってみて、感触を確かめた。胃が思っていたよりも硬かったり、盲腸が柔らかかったり、肺がもろかったり、何もせずに生きていたら絶対にわからなかったことを知ることができた。時間をたっぷり使って、隅々まで見ることができた。あっという間の時間だった。

 解剖する際に嬉しかったことが二つあった。一つ目は、めろちゃんが妊娠していたことである。最初、じゅんくん(仮)と取っ組み合いをしていたため、こうやって仲良くしてくれいたのが、本当に嬉しかった。それと同時に生まれるはずだったいのちであったということも痛感した。めろちゃんの子どもはまだ小さくて形などはわからなかったが、他の人の赤ちゃんを見せてもらうと、その心臓が確かに動いていて、「生きていたんだなあ」という想いと「もう死んでしまうしか道がないんだなあ」という想いが交錯した。めろちゃんが妊娠していたのは十一匹。十二匹のいのちを、わたしは奪ってしまったのだ。妊娠したことは嬉しいけれど、その事実は忘れないようにしたいと思う。そしてもう一つは、副腎が小さかったことである。副腎は、ストレスがかかればかかるほど大きくなる。めろちゃんは他のラットに比べ、副腎が小さかった。つまり、ストレスがかかっていなかった、ということだ。わたしのおかげではないかもしれない。確認してくれた子が見落としていただけかもしれない。けれど、それでわたしの心は救われたように感じた。あったかくなった。

 解剖終了後は、取り出した臓器を元に戻し、新聞紙に包んだ。不器用なりに、丁寧に包んだ。ユキちゃんの分もやらせてもらった。ラットたちが包まれた新聞紙がかごに積み重ねられていった。わたしは思わず手を合わせた。彼らは、実験動物専用の回収業者が来るまで、冷凍庫で眠ることになる。それを見届けた後、わたしは飼育室の掃除をした。彼らがケージから放り出した紙くずが散らばっており、それらを、残さないように、丁寧に丁寧に掃除した。あっさりと、終わった。

 わたしは、ここ一年で、たくさんの「いのち」について触れたと思う。祖父母が亡くなり、新しいペットがきて、そしてラットを育て、自分の手で殺し、解剖した。人間は死に触れて初めて成長するという。わたしも、この一か月を通して、いのち、そして死について多く学び、そして成長できたと思う。この経験はきっとわたしの将来の大きな糧になったと思う。めろちゃんとユキちゃんの世話、そして死を心に留めて生きていきたい。

 最後に、わたしが流した涙について話したいと思う。わたしは、めろちゃんを殺す直前に、泣いてしまった。その時はどうして涙が出てきたのかわからず、涙が止まった後、やはり今までことを思い出して悲しくなったのかなあ、と漠然と考えていた。しかしそのあと、わたしは一度も涙を流していない。彼女たちの写真を見ても、涙はでなかった。そこでわたしは気づいた。わたしは、彼女たちとの思い出の感傷によってではなく、動物を殺すことの恐怖によって泣いてしまったのだ。もちろん、悲しくなってしまったということもあっただろう。ただ、それは多分泣くほどではなかったのだ。ユキちゃんで見た光景を、自分で、自分の手でめろちゃんにさせる。それがわたしにとって、恐ろしいことだと、「わたしがする」ということが嫌だったのだと、わたしはそう考えた。自ら志願し、自らやると決めたことに対して、嫌がってしまう自分が情けなく、なんて自分勝手な人間だろうと思ってしまった。嫌なだけならしなければいいのだ。そうすればめろちゃんは死ななかったかもしれない(どのみち実験用として使われていたと思うが)。そんな自己中心的な本心に気づくことができた。それを成長と取るのは、ただの綺麗事かもしれない。けれど、現にわたしは一匹のラットをこの手で殺した。その事実は変わらなくて、だからこそその死を無駄にはできないだろう。

 まだまだ書きたいことがたくさんあるが、ここで筆をおかせていただく。書きたいことはすべて書かないと気が済まないのはわたしの悪い癖である。しかし、これぐらい書かなければ、わたしの思いは伝わらないと思った。長文、本当に申し訳ありません。

 指導してくださった川合さん、場を提供してくださった森中先生・木内先生、そして、いのちと癒しをくれためろちゃん・ユキちゃん、ありがとうございました。

 

P.S.写真一枚目がめろちゃん、二枚目がユキちゃんである(毎日撮った写真は6/22~8/1で541枚となった) 

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