ラットの解剖 感想 D34

「無事に終わって良かった」というのが率直な解剖直後の感想である。
自分のラットに対して名付けも行っていたし最初はペットと同様に育てようとしていた部分もあったかもしれない。しかし数日後からそんな感情は完全になくなった。紙に潜り込もうとしたり、明らかに他のラットより過敏に反応したりと、自分のラットが神経質と言おうか、ストレスを強く感じているとわかって以来とりあえずラットを死なせないようにストレスを出来る限り与えないように必死になった。ラットが死ぬと単位を貰えないという脅しのためか、せっかく生命を頂くのだから目的以外で無駄にしてはいけないと思ったからか、どちらにせよ私のエゴであるのだが、どうか死なないでくれ、と毎日思いながら世話をしていた。毎日世話が終わった後飼育室で「死にませんように」と手を合わせて願っているのを他の生徒に見られた時、気休めだと笑い話でその場は済ませたが、死なないことを前提に楽観的に考えられている他のラットのことを考えて嫉妬に駆られるぐらいには自分のラットがこのままだと死ぬと本気で考えていた。それが交配のために他のラットと同じケージに入れ始めてから状況が変わった。身体についていた黒点(その色にまた死を連想して焦ったりしていた)も消え、穴を掘ることも減り、身体を逃げられることなく私が触れることが出来るようになったとき、はじめて他の皆と同じ地点に立てたような気がした。記録用ではなく可愛いからと写真を撮ることもラットと戯れることも、夜行性の動物に人間が関わること全てがストレスだと考えて行えず、死ぬな以外の感情を持てなかった私がラットに対して「可愛い」と皆と同じように思えたことは大切な経験だったように思う。というのは、生命論を選択しラットの化いぼを行うと決意したときに、確かめたいと思った観点があったからである。私は環境論の夏合宿に二度参加し鶏の解体を行ったのだがそこで「いつから生物ではなく肉と思うか」と「自分で育て上げた動物を殺すとどのように感じるか」という観点を学び、一つの生命を1ヶ月強自分で育て殺し解剖する経験を持って自分が何をどう感じるのか確かめたいと思っていたのだ。そんな理由で、「生命を維持している」のではなく「育てている」と感じながら世話を出来るようになれたのは重要なことだったのだ。
肝心の解剖について。
川合先生がデモンストレーションを行ってくださったとき、その手際の良さに私もこれだけ綺麗に解剖を行いラットを余すところなく利用つくしたいと思った。講義の時点でラットの命に対して出来る限りの誠意で対応したいと考え、メモを細かくとり少しでも多く学べるように、とは考えていたものの決意が決まったのはデモンストレーションが終わってからだった。気持ち悪さや恐れや悲しみは抱いていないと思いながら解剖を行っていったのだが、偶然行わせていただいた自分のラットのパートナーである二匹目の解剖を行ったとき、非常に上手く、速く解剖出来るようになったこととを実感し、はじめて解剖を行った時は手が震えていたり、ためらいがあったりしたのだなとわかった。また、副腎の大きさを見た時に思わず泣いてしまいそうになりラットと向き合って私は悲しいという感情を持ったのだなとも思った。というのは講義で動物がストレスを受けると副腎が肥大化するという話を聞いて「ストレス」に強い思い入れがあったので絶対に副腎を確かめてやろうと考えていたのだが、二匹の解剖を行った血まみれの手袋をつけて数人のラットの腎臓を借りて脂肪を少しずつ取り除いて回り、周りから見ると狂気に見えていたかもしれないが、副腎同士を比べることで、自分のラットの副腎がたいして大きくなかったことを知って心の底から安堵して、ちゃんと育てられたラットを殺したという実感を得て、泣きそうになったのだと思う。過去のストレスによる肥大化はその後の生活で元に戻るのか、素人の目視での観察がラットという小さい個体にたいしてどれだけ意味を持つのかわからないが、最後の数週間の普通に暮らしている様子は、私の楽観的観測ではなかったと思えた。行動から判断して自分の感情を知る、自分の実感が乖離した状態だったのだな、と改めて思う。以上より今の実感は「無事に終わって良かった」ということ以外にない。ぼんやりと「いつから生物ではなく肉と思うか」という問いに対して最初から肉となる実験動物だと考えていたのだろうと思い「自分で育て上げた動物を殺すとどのように感じるか」には殺す瞬間は心が無であり後から悲しみや罪悪感など様々な感情がわいてくる、と思っているもののまだ確かな答えとは言えないように思う。ストレスを受けながらも私の世話で育ち私の手で死んだラットと、過敏な私のラットを温厚にしてくれただろう、妊娠のできなかった、暴れもがいて麻酔を吸ったラットとの貴重な、大切な原体験をしっかりと消化して、自分の身にしていきたい。


D34


ちびとでかと、でかを育ててくれた人へ
ありがとう