ラットの解剖 3B15

5月27日に初めてラットに対面した。名前をつけるかつけないか、つけたら後がしんどいよな、いや名前をつけて愛情込めて育ててあげたい、と悩んだ。結局名前はつけなかった。それでも愛情を持って育た。のんびり屋の私が、お弁当もそこそこにお昼に生物実験室に行って世話をした。可愛いな、今日は臭いな、なんて言って写真も撮った。お見合いをさせて嫁がせて。そして、昨日、解剖した。
そもそも私は、育てたラットを研究とかではなく、自分が、何かを学ぶために解剖できるほど偉い人間なのか、と思う。もちろん偉くない。でも事実として、解剖した。結構最初から最後まで淡々と。最初からそのつもりだった。自分が怖気付いても逃げても、どちらにせよラットは解剖されると思うし、少なくとも生き延びることはない。だからせめて苦しむことなく、できれば何もわからないうちに命を終えて欲しかった。自分の目で最大限見ようと思っていた。先生が演示解剖してくださった時も、ラットを苦しめないように、どうやったら良いかを習おうと目を見開いた。でも先生がラットの首を切った時とか、あとで我にかえった時とか、なんとなく怖くなった。その一方、昔からよく本のイラストで見ていた通りのお腹の中で、「本物だ」とも思ってしまった。
いよいよ、自分たちの番になった。先輩の話を聞いていたから、麻酔をかける前にラットが逃げようとすることを知っていた。多分、ラットはこちらのしようとすることを本能的に知るんだろうな、と思っていた。人間の気持ちは動物に移る。だから私はなるべく平常心でいようとした。大丈夫だから、と言い聞かせた。これはラットにも私にも言い聞かせてたのだと思う。でも、ばれた。匂いでわかるのだろうか、自分が殺されると。オスはなかなか瓶に入らなくて、結局一度、私の手から逃れた。メスはなかなか捕まらず、ずっと今まで聞いたことのない声で鳴きながらケージの中を逃げ回った。でも結局2匹とも私が瓶に入れ、ジエチルエーテルで殺した。ここが一番、しんどかった。
瓶を揺すってもなんの反応も無くなって、いよいよ解剖することになった。ちょきん、と横にハサミを入れて縦にすすすとハサミを入れる。冬の環境論でやった鹿の解体を思い出した。全然シチュエーションが違うのに。そういえば、あの時は私は手をかけなかったし、いつもお肉やお魚を食べる感覚と似たところがあった。でも今回は違う。別に社会のために研究して、その過程で解剖するのではない。自分が勉強するためだけに解剖する。自分のやってることは重いなと思いながら、どんどんハサミを入れていった。
私が担当していたメスは妊娠していなかった。タイミングの問題か、それとも夫婦仲が悪かったのか。実際はどうかわからない。もし夫婦仲が悪かったなら申し訳ないな、と思う。肝臓は濃い赤で、消化管はちょっと暗い色。盲腸は人より発達していて、また腸は絡まらないようにネットに包まれた上で、ぎっちぎちにお腹の中に詰まっていた。私のお腹の中でもぎっちぎちに腸が詰まっているのだろうと想像した。丁寧に消化器官を出し、胸部を開いた。ぱきぱきと肋骨を切って、心臓を取り、気管のあたりを剥離して取り出す。体の中と、シャーレに出したあとでは形がなんとなく違っていた。シャーレに出したあとの肺は、よく図鑑で見た形だった。体の中は限られたスペースに必要なものすべてを詰め込んだものだったんだと、実感した。ここまできたからには脳を見たいと思ったが、首を切るのがどうしても嫌で、どうにか首を切らないように、うつ伏せにして顔の皮を剥いで硬くてひっかかりのない、強い頭蓋骨を骨切りで切ろうとした。なかなかうまくいかなくて、大事な脳はこう守ってもらわなくちゃ、と思った。でも一度刃が入ると、ぱきんぱきんと折れていってしまう。思ったより薄くて驚いた。さっきは強い頭蓋骨と思ったが、意外と脆弱なのかもしれないと思った。
気がつくと随分時間が過ぎて、片付けをすることになった。出した臓器は全て元あったところに直そうとした。しかし元あったようにはうまくはまらなかったし、どこまでやっても元あったようにはならなかった。ああ、私は遂に自分が世話した子をばらばらにしてしまったのか、と思った。あまりばらばらにしたくない、とか、首を切りたくない、とかは思い上がりで、ハサミを入れた瞬間に、同じなんだと思った。
家に帰るときになんとなく想像してしまった。私のお腹の中、胸の中、そして頭の中を。もし私の皮膚をメスで切って、筋肉を切ったら、同じくらいぎっちぎちに臓器が詰まっているのだろう。一部の隙間もなく、無駄なものは何もなく、そうやって私も生きている、そうであってほしいと思った。
生命論は、生命を学ぶ場所だけれど、「命は大事です、大事にしましょう」とだけ学ぶ場所ではないのだと思う。それだけでいいのなら、確実に自分で世話したラットを自分で解剖するなんてことはしないからだ。生きていれば確実に、毎日何かの命がなくなって私が生きている。そうやって生かしてもらっているのだから1秒たりとも無駄にしたくはない。
私は、自分で世話したラットを自分で解剖できるほど偉い人間ではない。偉くはないが、努力しなくては昨日死んだラットに示しがつかない。努力しよう。前に前に、突き進もうと思う。