ラットの解剖 3C34

私はラットを育て解剖することになんの意味も見いだせなかった。私は医者にも獣医にもならないし理系でもない。こんな奴に殺されるこの子はなんて可愛そうなんだろう、そんなことを思っているうちについに解剖の日がやってきた。
ラットは今日も可愛かった。ケージに手を近づけるとちょこちょこと寄ってきて鼻先でつついてくる。この鼻の当たるかわいい感触もこれでおしまいなんだ、そう思ってみてもこの子がもうすぐ私に殺されるなんて実感はひとつもわかなかった。なんなら、意外とあっさりこなせてしまうかもしれないなとさえ思った。しかし、その調子に乗った軽い気持ちは、演示解剖が始まってすぐに打ち砕かれることになる。
獣医さんによってスムーズに麻酔薬の入ったビンにうつされ、その中で少しずつ弱っていくラットを見ていると、涙が止まらなくなった。歯を食いしばっても深呼吸しても次から次に涙がでてきた。私が育てたラットではなかったし、可愛そうだと思ったわけでもなかった。自分がどんな感情で泣いているのか分からなかった。いつまでたっても泣き止まないので先生に勧められて1度教室をでた。しかしなぜだろう教室をでるとすぐに私は戻りたくなった。どうしても解剖したくなった。私の育てたあのラットをこの手で解剖しなければならない、そう思った。私の涙腺はラットを見ると反射的に涙をながすようになってしまっていたので、しばらくは教室に戻ろうにも戻れなかったのだが、演示解剖が終盤にさしかかった頃にはなんとか戻ることができた。

それがおわるといよいよ私達の番だった。この頃にはかなり精神が安定してきて、もうここまできたらやってやるぞという心持ちだった。自分でも信じられないことだが死んでしまったルーくん(私のラット)に1度ハサミを入れ作業をはじめると、その内部の構造の細さに感動し可哀想だとか苦しいだとかそんな気持ちは消えていた。もちろん麻酔をいれたビンの中にルーくん(私のラット)を入れる作業は本当に苦しいもので「ごめんね、ごめんね」と言わずにいられなかったし、全てが終わりルーくんを新聞紙に包む前その小さな手を握った時はまた涙を流したのだが、思い返してみると少なくとも作業中の私はルーくんへの愛情を忘れ解剖の対象としてしか見ていなかった。そのことを心の底から嫌だとも思うし、そういうものなのかとも思ってしまう自分もいた。だけれど、私はルーくんの命を無駄にしたくはない。たとえ解剖の対象であったとしても、私が医者にならないとしても、ルーくんを殺したことになにかしらの意味を見出したいのだ。ルーくんの血のにおい、まだあたたかかった体、ずっしりとした重さ、なによりこちらに寄ってきてくれていたあの可愛い姿、それを忘れずに、ルーくんを殺したことが私にとってどんな意味をもったのかを考え続けようと思う。