ラットの解剖 感想 C28

 僕はまずこの生命論を選択するに至った大きな要因がラットの解剖が出来るということだった。昔からすごく興味のあった分野だったために、本物のラットを見るまでは期待がかなり大きく、ただ単にこの機会が将来のためになるのではと考えていた。しかしいざ自分で育てるとなると、日に日に大きく、重くなっていくラットに愛着が湧き、いつからか期待よりも不安が増していたように思う。ある時、ゲージから逃げていたという話を聞いた時も、自分の失態を悔い、酷く責任を感じたと同時に、ラットが無事でよかったという感覚を持っていた。そんなラットを自分の手で解剖できるのかと何度も感じた。そして瞬く間に解剖の日が近づき、自分は正直、解剖を楽しみにワクワクしている人の心情があまり理解できなかった。

 そうして、緊張と不安で気が乗らない中、当日を迎えた。覚悟はしていた。ただ、直前の講義でいつかは解剖しなければならない、それが今であることを改めて実感させられた。そして、貴重な命を頂くからには全力で悔いなく取り組むと決めていたこともあり、そこからは気を引き締め直して取り掛かった。1ヶ月以上、毎日毎日話しかけ、他の用事よりもラット優先に過ごしてきたが、麻酔がかかって解剖が始まり、そして終えるまで本当に一瞬だった。解剖は比較的スムーズに進み、全ての臓器を丁寧に摘出して観察を行い、充実した時間であったように思う。しかし、途中で自分の手が震えていることに気付いた。これが解剖の慎重さによるものなのか、それともラットの命の重さを感じたからなのかはわからない。その時はただひたすらに目の前のラットと向き合い、決して後悔しないように誰よりも丁寧に、という思いであった。

 解剖の最中は集中していたため気づかなかったが、愛をこめて育てた1匹のラットの命を自分の手で奪った重さは後になって強く感じた。ただ、それと同時に将来の道がしっかりと決まったように思う。ひとつの命を背負う重さは計り知れず、大きな責任を伴うが、そんななかでもたったひとつの命を守り通せる人になりたいと強く感じた。今まで身近に死を感じたことがほとんど無いためわからなかったが、どんなに小さな、どんな命であってもその命を想う人がいることは確かである。僕は1匹のラットから本当に多くを教えてもらった。そして、この経験がいつか自分のためになる、そんな半端な思いではなく、この感情を心に留め、必ず活かせるように今度は自分が成長しなければならないと思う。自分の将来は分からないが、今こうして1匹のラットと出会い、その命を頂いたことに後悔はない。

 ほんの一時であったかもしれないが、自分の都合で命を頂いたラットには感謝でいっぱいです。ありがとうございました。