ラットの解剖 感想 C41

 私は、生命論を選択したときから正直、ラットの解剖はやりたくないと思っていた。私は、動物が好きなので、自分の手で命を奪うことはしたくないし、耐えられないと思っていたからだ。だから、初めてラットと対面した時もあまりの可愛さに「解剖なんてしたくない。このまま連れて帰って家で育てたい。」と思ってしまった。そんな気持ちを持ちながらお世話をしていたので、本当は心から可愛がって、名前もつけてお世話をしたかったけど、そんなことをしたら耐えられないと思い、名前をつけることはできなかった。
 私はオスを育てたが、その子はとてもやんちゃで、毎日下に敷いている紙をゲージの外に撒き散らしていた。行動も活発で、私がゲージを掃除するために、別のケースに移している時も他の誰よりも動きが激しかったように感じる。
 とてもやんちゃで活発なので、メスと交配させたときに、メスをいじめないか、ちゃんと仲良くできるかと心配したが、その心配は必要なかった。初めてメスと同じ部屋に入れた瞬間からメスに興味を持って、近づいていた。最初の方は、あまり絡んでいないように感じたが、時間が経つにつれ、2匹が近くで過ごしていることが増えた。心配していたよりも、2匹の相性が良かったのだろう。メスを妊娠させることができた。
 解剖の前日から私はとても緊張していた。環境論に参加した時に、鶏の解体を行ったことはあるが、これは「食べるために命を奪う」という命の循環のなかでの理由があるので、人間の身勝手かもしれないが、鶏の命を奪うことには正当性があると気持ちに折り合いがつけやすかった。しかし、今回の解剖は、私たちの勉強のために命を奪ってしまうという本当に人間の身勝手でしかない行動に感じてしまい、どのような気持ちで解剖をすればいいのかわからなかった。
 せっかく命をいただいて解剖をさせてもらうのだから、少しでもラットが苦しまないように、辛くないようにしっかりと責任を持ってやり抜こうと心に決めて解剖に挑んだ。でもやっぱり怖くて、泣いてしまうのではないかと思ったが、泣いている場合ではないと気持ちを奮い立たせて先生が解剖をしている様子を目に焼き付けた。
 解剖をしているときはすごく集中していて、大量に汗をかいていることに後から気づいた。少し血管を切ってしまい、出血してしまった部分もあるが、大部分はきれいに取り出せた。特に、腸はきれいに取り出せて、一本の長い管になっている様子を観察することができた。眼球を取り出そうとラットの体を持つと、生きているときとは違って、体がかたまってきていた。その感触を手に感じたとき、このラットはもう生きていないんだ、というなんともいえない気持ちになった。
 解剖が終わり、新聞紙で包んだ後、私はラットに向かって手を合わせた。命を奪ってしまったという罪悪感はあるが、非常に有意義な経験だった。抱いた感情も、手に触れた感触も、目にした光景も、全てが経験となり、これからの私の人生において、大切なものになったことを確信した。
 短い時間ではあったが、私と出会ってくれて、お世話をさせてくれて、最後には命をいただいたラットに感謝したい。本当にありがとう。天国で幸せに暮らしてほしいなと思います。
ありがとうございました。