7/14 ラット解剖について 3A38

その日の晩、私は酷い悪夢に苛まれました。次の朝、激しい喪失感に駆られました。
実際に経験したことのある人にしか語れないこと、お話しします。

生命論を取るかどうか悩んでいた2年の冬から、動物好きの私にとって、ラット解剖について考えるだけで憂鬱でした。
この気持ちは、実際にラットを飼い始めてからさらに強くなりました。
命の価値はその数では決まりません。分かってはいますが、こう考えずにはいられませんでした。
奪う命の数が多すぎやしないかと。
生命論選択者9人に対し、親ネズミ12匹。お腹の子も数えると、一体何匹の命を奪ってしまったのか。思い出したくもありません。
元々研究目的で生まれてしまった子たち、運が悪かったんや。そう考えようと、考えようとしても無理でした。
私たち生命論選択者は、ただの高校生です。
このラット解剖の目的は何だったのでしょうか。
ラットの体内の構造把握?医療倫理を学ぶ?
私は訳が分からなくなりました。

正直に言うと、私は解剖中、ラットを殺すと同時に、自分の感情も殺していました。
ラットは私が直接手を加えて殺してしまったわけじゃない。ジエチルエーテルの過剰摂取が原因。
はじめの一太刀、…ジョキ。皮膚は裁ちばさみで布を切るような感覚、内臓は感覚あった?と驚いてしまうくらいの小さな体。ほら、もう心臓は止まってしまっているじゃないか。私のせいじゃない…。
しかし、しばらくして消化器官をきれいに伸ばそうとしていた時でした。
マスクをしていたにも関わらず、突然鼻につくような臭いがしました。生肉の匂いです。
はっと我に返りました。命を一つ、奪っているということを思い出さずにはいられませんでした。
と同時に、ラットがこの世に確かに存在していた、その証を感じました。
他のみんなは脳を取り出すことまでしていましたが、自分のラットが眠っているような安らかな顔をしているのを見て、首を切断し、皮を剥ぐなんてこと、できませんでした。
そういえば、自分のラットの寝ている顔、見たことあったっけ…ううん、無い。せめて顔だけは、綺麗に残してあげたい、そう思いました。

今回の解剖したラットたちの死を無駄にしないように、これからどうするべきか。
この答えを生涯追及していくこと。それが私の義務のように思いました。

こういう別れが来ることが分かってたから名前も付けてあげられなかった。ごめんね。
ありがとう。