活動報告6/8

 今回の授業では、映画「太陽の子」を鑑賞した。個人的に戦争の物語といえば「戦争の悲惨さ、原爆によって引き起こされた悲しみを伝える」ようなものが多いと感じる。これまでにそのような話をたくさん観て、聞いて、戦争がいかに恐ろしいか知ってきたつもりであった。しかし、今回の映画を観て、私が戦争について知っていたことはほんの一部でしかなかったのだと思い知らされた。

 

 映画「太陽の子」は科学者の主人公、修が原爆開発に携わり、奮闘する話である。当時、科学者にとって原子爆弾は素晴らしい発明であり、アメリカに先を越されることは彼らのプライドが許さなかった。そして戦争に勝つため、また、他のどの国よりも早く原爆を作り出すために研究を続けていた。

 現代の日本人は、日本は原爆の被害国なのだと思っているだろう。確かにそれは正しいし、原爆は断固として許されるものではない。しかし、アメリカが原爆を落とした悪者で日本は可哀想な被害者だと言うことは出来るのだろうか。日本も一歩間違えていたら加害国になっていたかもしれない。単にアメリカの技術が進んでいて日本に技術と材料が無かっただけで、もし日本が先に原爆を作っていたら日本がアメリカに原爆を落としていたはずだ。落とした相手を一方的に責めるのではなく、そういうことをせざるを得ない状況を作った戦争自体に責任があると思う。日本も原爆の開発研究をしていたという事実を日本人全員が知るべきだ。

 

 鑑賞後、科学は進むべきかどうかについて話し合った。そのうちのひとつとして、「科学者は科学を突き詰めることが仕事であるのだから、誰かが限度を決めなければならない」という意見が出た。この映画で、修を含む科学者達は人を殺したいという目的で研究していたわけではないと思う。あくまで科学者として新たな技術である原子爆弾を完成させたいのである。だが、科学者達のその追求心も間違えた方向に行き過ぎてしまったら大変な事態を引き起こす。悪用され、兵器になる。それを誰かが止めなければならないのだ。

 これは原爆に限ったことではない。現状、クローンビジネスやデザイナーベイビーなど技術の発展に関して賛否の分けれている問題も多い。私たちはこれらの問題を他人事だと思わず、風潮や固定観念に流されずに自分の考えを持たなければならない。

 

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