「ハンセン病を生きて_君たちに伝えたいこと」感想文(A38)

私はこの本を読んだあと、ある別の病気を連想した。それは、エイズである。後天性免疫不全症候群(AIDS(エイズ))とは、ヒト免疫不全ウイルス(HIV)が免疫細胞に感染し、免疫細胞を破壊して後天的に免疫不全を起こす疾患のことで、性感染症の一つである。今でこそ感染ルート、原因が解明され、早期発見、早期治療が可能となった。しかし、その感染ルートによってこの病気に対する偏見が今でも残っていることもまた、事実である。一体どれだけの人が正しい知識を得た状態で病気について語っているのか、その患者たちを評価しているのか。恥ずかしながらこの感想文を書いている私は、自分の持っている知識が十分なものではないことを自覚している分、分かった風にハンセン病やその他の病気について議論できるとは思っていない。
そんな私の浅い病気に対する知識でも分かる部分がある。それは、私たちのような、中途半端な知識の持ち主、もしくは全く理解すら示そうともしない人々によって病気の患者たちに対する差別、偏見は留まることを知らないということである。
ハンセン病患者に対する国のとった対策は、「隔離」だった。目に見えて症状が分かる、しかしその感染ルートや原因が分からない状態で、国が国民を守るためにやった政策として、今改めて考えてみるとやりすぎであると感じるかもしれない。しかし、あの当時としてはどうであろうか。間違っていたのだろうか。私はそうは思わない。最近でいうと、新型インフルエンザが猛威を振るっていた時期、感染の疑いがある人たちはワクチンが出来るまでの間、隔離病院での生活を余儀なくされたという例がある。結果、どうであったか。ウイルスの感染は落ち着き、今の私たちはウイルスに命を危ぶまれない生活を送っている。
ではハンセン病患者に対して何がどのように間違っていたのだろうか。私は、ハンセン病の正体が解明された後の国の対応、医療機関の対応が間違っていたのだと思う。国は、ハンセン病の実情が分かったあともしばらく、「らい予防法」を破棄しなかった。それはなぜなのか。全人口に対して患者の割合が少ないから、残りの大多数を、優先的に政治を進めたかったというのが理由の一つにあるかもしれない。
私たちが今だから出来ることは何なのか。私は、何でも国に頼ろうとすることが日本人の悪いところだと思う。アメリカでは、人々は自分たちのより良い生活のために、多くの市民団体やボランティアが当たり前のように働きまわっている。私たちも、T小学校の5年4組のように、自ら行動しなければいけない。今の私たちには、情報拡散能力がある。世論を自分たちの手で簡単に動かせてしまう媒体や力を持っている。自分たちの意見をこのブログのように発信していけばいい。一人でも、私たちのこの文章を読んで共感してくれる人を増やしていけばいい。無知であることは罪でないかもしれない。私たちが知らないことがたくさんあるということは、仕方がないことだからだ。しかし、無知であることを自覚していない、もしくはこの現状に満足していることは罪であると思う。ハンセン病に対する無知が無知で終わらないようにすること。これが、ハンセン病という存在を知った私たちの義務だと思う。
人間には、自分とは異なるものを無意識に避け、拒絶する本能がある。そしてその対象を自分より下に位置付け、少なくとも自分はあの人たちよりは優れていると、自分の存在意義を見出す。こうした考えが偏見を生む、差別を生む。私たちが、この負のスパイラルを止めなければならないと強く感じた。