「歴史的事実」か「ひとりの人生」か    F.M

                                  
 大江健三郎著「ヒロシマ・ノート」には、広島の悲惨な光景が淡々と綴られていた。今まで学生として原爆を学び、長崎の原爆資料館にも訪れたことがあったが,やはり淡々と人の死について語られていくのは,心にズキズキと響く.一方で,私は大平一枝著「届かなかった手紙」も読んだ.そこには,原爆を落としたアメリカ側の意見や考えが客観的に載っていて,日本人の私から見てとても興味深いものであった.被害者である日本は「ひとりの人生」に目を向け,加害者であるアメリカは「歴史的事実」として主に原爆を見ている傾向にある.もちろん,全日本人やアメリカ人がそのような意見を持っているわけではないことは承知している.その上で,私が読み取った傾向についてまとめたいと思う.
1.原爆への認識
 原爆は非人道的な兵器であるというのは,どちらの国も認めている.日本はそもそも
被害を受けているからその威力は身をもって痛感しているし,アメリカにおいても,ラッセル=アインシュタイン宣言が発表されているように,原爆はしてはならないことであると認識されている.しかしアメリカは原爆を投下したことは「その後失われる可能性のあった百万人にも及ぶ人々の命を救うためのもので,日本に戦争を止めさせるために必要なことであった」としている.ところが日本からしてみれば,その後失われる百万人と,原爆によって失われた命に差はないわけで,とことん理不尽な,自国を正当化するためのものであるように考えるのが普通だ.子供たちへの教育も違う.アメリカでは,世界史を選択した高校生しか原爆が投下された背景も知らない.
2.過去への認識
 私が特に気になったのが「前を向きましょう」という言葉だ.極秘の原爆開発プロジェクト,マンハッタン計画に携わったリリー・ホーニグさんの言葉である.前を向くとはどういう意味か.きっと直接関わっていたリリーさんだからこそ,もう思い出したくない,忘れ去りたいと思うのだろうが,過去を忘れて前を向く,というのは別の言葉に言い換えると,原爆によって苦しんだ人々の記憶を風化させてしまう,ということである.それは本当に間違っていないと言い張れるのか.
 しかしまた一方で,日本人にもこのような感情があった.「すべてを失えば何かを得
る」決してこの言葉が原爆を許しているわけではないが,前向きな考えであることは間違いない.「戦争とはそういうもの」という考えをもつアメリカと「二度と起こしてはならない」と考える日本.根本的な,原爆に対する恐怖の感情は同じであっても,その考えにおいて少しすれ違いが出てくるのだろう.
3.未来への期待
 原水爆禁止世界大会は,未来への期待を込めて行われているものである.被爆し,悲惨な死にいたる闘いを,最期に大会の場においてスピーチをするまで続けた,最後の人と呼宮本定男さんはこう遺している.「終わりにどうか,戦争のない明るい世界が来るように皆さんのご協力をお願いいたします.」人生への絶望と,恨みと,死への恐怖を抱えながらも,宮本さんはこの言葉を遺して帰らぬ人となった.
 歴史的事実として原爆を,第二次世界大戦を見るならば彼らは単なる「原爆反対に役立つ資料としての死」なのかもしれない.実際私たちは,現在の医療の発展のために犠牲となった人を一人でも知っているだろうか.しかしそこにあった苦しみは紛れもない事実なのであり,人はこれを忘れてしまうと,また悲惨な過ちを繰り返す.アメリカ人は.戦争という大きなくくりで原爆を見て,それが社会に与えた影響を観察するが,日本人は,原爆によって奪われた「ひとりの人生」から平和を訴える.そこに大きな違いがある.
 平和,と口にするのはとても簡単なことだが,ひとりの平和と社会の平和は違う.大勢の人のために少数の人が犠牲となるのか,それともその逆か.
 歴史には正解はない,というのは,今見て正しいと思うのは,現段階において何事もないというだけであって,今後どうなるのかなんて誰にも分らない.被爆もそのひとつである.
 現代に生まれた私たちがするべきなのは,先祖の仇討でもなければ,謝罪をひねり出させることでもなく,もちろん無関心になることではない.過ぎてしまったことを,もう取り返すことは出来ない.いくら謝罪の言葉やお金があっても,亡くなった人,その人たちの人生,幸せは,もう二度と返ることは無い.この歴史を伝え続けることに意味がある.「この出来事はこの視点から見れば正しかった」のではなく,「この出来事はこのような目的のために行われたが,多くの人が犠牲になった」と伝える.それが私たちにできることだ.
■参考文献
  「ヒロシマ・ノート」大江健三郎著 岩波新書
  「届かなかった手紙」大平一枝著 角川書店