56期 生命論第11回 3A12

今日は大阪夕陽丘高校から川合先生にお越しいただき、講義・演示実験をしていただいたのち、
5月末から今日まで、飼育してきたラットの解剖をしました。
 
解剖の「解」という漢字について考えたことはありますか?
「解」は、角、牛、刀という字から成っていますね。
 
解剖というのは、主に3種類あります。
一つ目に、病理解剖。これは病院で亡くなった原因が不明の場合や、
薬の効果を確かめる場合に行われます。
二つ目に、司法解剖。犯罪に関与すると思われる遺体に行われます。
三つ目に、系統解剖学。これが、おもに体の構造を理解したり、研究目的に
行われる解剖です。今回は、これにあたります。
 ラットの解剖を通して、体の構造を学ぼう、という目的のもと、
今回のラットの解剖は行われました。
 
 
手法についても簡単に触れておきます。
まず、ラットをジエチルエーテルを充満させた瓶の中に入れました。ものすごい匂いでした。
暫くすると、麻酔が効いて心肺停止、動かなくなりました。
そこからはピンセットを使ってはさみを入れていく。臓器を観察する。
雌については、懐妊させたラットを解剖して、その胎児の様子も顕微鏡を用いて観察しました。
終了後、校内に埋葬する予定でしたが、地面が硬く、掘ることができませんでした。
みんなが悔しがるなか、やむを得ず断念しました。処理については、業者の方にお願いすることになりました。
 
 
川合先生が手法について、演示している時には、思わず耳をふさぎたくなる音や、
目を背けたくなるような場面も見受けられました。
私たちが実際にやっているときも、当然、同じです。
ラットを飼い始めた当初から、かわいがる、という意識は持たずに飼育してきたつもりですが、それでも
やはり、ただ単純に可愛そう、という言葉では片付けられない、表現しがたい気持ちに包まれました。
 
解剖というのは、人間が発展したりする上で大切なことかもしれません。
しかし、反面、動物の命が奪われていることも事実です。
私たちが御飯を食べるときの「いただきます」の意味には、命をいただきます、という意味が含まれています。
今までも頭ではわかっていましたが、改めて先生にそうお話していただいた時に、より実感が沸いてきました。
今回の私たちの全員中にもきっと、解剖前に「研究のために命をいただきます」という意識があったのではないでしょうか。
実際の解剖では、ひとつひとつ臓器を取り出していきました。血も流れます。しかし、このように実際に臓器をみて、向き合える機会というのは簡単に得られるものではなく、先生に質問もさせていただきながら、構造を観察しました。自分で自分の臓器を見ることはできなくて、今までには図鑑や写真などでしかみたことが無かった私は
自分の手ではさみを入れているという少しの葛藤を抱きながらも、着々と手を進め、その体のひとつひとつの部分を脳裏に焼き付けました。もう二度とみることのないかもしれない、貴重な臓器を。
 
私個人の感想としましては、体の構造を理解する、という一番の目的は果たせたのではないかと思います。
また、うまく言葉では表現できませんが、ひとつの命と向き合うことで、改めて命について考える機会にも
なったと思います。
私たちがこれから生きていく上で考えていかなければならないことはいったい何なのでしょうか?
解剖前に「命って大切だよね」といっていた自分と、ラットの解剖をした自分の「命って大切だよね」
とをくらべると、同じ言葉でも持っている意味は大きく違う気がします。
何事も、ただ表面を理解するだけではだめなんだと思います。
自分の体験を通して、感じるものも、得るものもある。
「考える」ことは、人間に許された行為であり、生きていく上で必要なことです。
 
今回の生命論で得たものは大きいと思います。尊い命を無駄にせずに、これからも議論や考察を
進めて行きたいと思います。