「ハンセン病を生きて_ 君たちに伝えたいこと」感想文 3B08

この本を読んで、ハンセン病のことは少し分かったが、著者の伝えたいことは、理解できなかった。冒頭に実際に病気にならなくても、自分の立場に置き換えて想像すれば理解できると書いてあった。しかし、私の場合は他の施設にいる人と同じでひっそりと暮らして行きたいし、偏見に対する運動はしたくないと思った。また、大人になると心がくすんでしまい偏見や差別をしてしまうと書かれてあったが、偏見をしてしまうのは、恐怖心からであると思う。ジェットコースターが落ちない設計になっているのに、落ちるかもしれないと思って、怖いのと一緒で、人から人には感染しないと理解出来ていても、少しばかりか恐怖がある。大人は、この恐怖心が強く、子供には、まだ芽生えていないからではないのかなと思った。誹謗中傷のメッセージを送るなどは差別であり、それこそ心がくすんでると思うが、同じ保育園に入れたくないなどの避けてしまう偏見による行為は人間の心理的に仕方がないと思う。だから、感染しないと分かっていても先生たちは、熱心に除菌していたのだろうと思う。
そもそも、ハンセン病は絶対に感染しないとは言きることは出来ないのではないのかと思った。この本では、病気がどうして感染すると思われていたのかがあまり明確に書かれていないように感じられ、少し流れが分かりにくかった。そのため、元ハンセン病患者がホテル側に宿泊を拒否されるのには、納得してしまう部分があった。道徳的には、差別していると言えるが、ホテル側も商売なので、正しいとまでは思わないが間違ってはいないと思った。一般の人からしたら、ハンセン病は感染するかも知れないという認識で、元ハンセン病の人が泊まったホテルには、わざわざ泊まりたくないと思うだろう。私も、医学的知識が全くないのでよく分からないが、完治してるとは言え、同じお湯にはつかりたくないと思ってしまう。結局、元ハンセン病の人達も批判を受け、ホテルも廃業に追い込まれ、何一つ良いことがなかったように感じられた。毎年の恒例行事だった様だが、それ以前のホテルはどうしていたのかなと疑問に思う。また、何故ホテル側からの謝罪を拒否したのかも気になった。そこで受け入れていたら、ハンセン病は感染しないことを訴えるチャンスだったのではないのか。受け入れなかったことにより、報道が加熱し、ハンセン病患者に対する差別、偏見が強まったと思う。そのとき送られてきた手紙の中で、身内が理解できないことを世間の人が理解出来る訳がないというのには、納得した。そもそも、身内が理解していれば、故郷に帰れてホテルがつぶれることもなかっただろう。
筆者は、病気に対して理解ある人と結婚したが、上手くはいかなかった。著者などを含め、ハンセン病の差別、偏見を無くそうとする行動は、勇気ある行動だと思うが、なくすのは不可能だろうと思う。冒頭で述べたように、頭では理解していても、内心は感染するかも知れないという恐怖心があるので、そういうことになる。そのために、常に反発していると、身内や自分も疲れてしまう。だから、多少の妥協は必要だと思った。時には、ハンセン病であったことを隠し、ひっそりと生きて行くことも一つの手段だと思う。