愛生園見学 3A38

他の人たちがハンセン病について詳しく書いてくれると思うので、私は「愛生園に2回行って」どういう考えを持ったかについて軽く書こうと思う。内容が薄いと感じたら、それは申し訳ない。

私が初めて愛生園に見学に行ったのは2年前のことである。1年飛ばして、今年で2回目。
2回目の愛生園見学は、1回目とは全く違ったもののように感じた。
あの時の私は今と比べてもまだまだ精神的に未熟で半分好奇心に誘われて見学に参加した。そして、ハンセン病の事前学習会で得た知識のみを携えて現地に乗り込んだ。

しかし今年の私は2年前の私とは決定的に違った。少なくとも、自分で積極的に文献をあさり調べた分、比べ物にならないほど深いものになっていたと思う。
ハンセン病患者さんが薬によって完治していたのにもかかわらず、国の法によって苦しめられ続けてしまったその歴史の真相や、そのことに対する患者さんたちの持つ様々な意見について。
今現代を生きる私たちにとっては想像してもしきれない境遇が確かにあったという。
それをまた実際に自分の目で見ることが出来る、想像出来る。
愛生園にまた行くのか…という表向きな感情とともに、少し楽しみにしているという裏側の感情があったのも、また事実であった。

今回の見学は、ある種、自分の過去の記憶を辿る旅のようであった。そしてまた、新たに自分が得た知識の再発見の旅のようでもあった。
時代の変化を表したような、大きな意味を持つ名前が付けられた、本土から長島にかかる何気ない橋グリーンカーテンのような見た目のハンセン病資料館。中には患者さんが作られた、島を形どった巨大なジオラマ。その他ハンセン病に関しての様々な展示…。
話を聞いていると、普通におじいちゃんだった語り部さん。
当時の情景を想像しながら歩いた島見学。うっすら覚えていたよりも全然短かった納骨堂に続く坂道…。
見学した1つ1つの場所で、自分が2年前、ここで何を感じたのか。どのような情景を思い浮かべたのかなど、記憶を掘り起こす作業。それと比べて今の自分はどう思うのか確かめる作業。
他の人がどう感じていたのかは分からないが、なかなかやりがいのあるものだったと今振り返ってみるとそう思う。