ハンセン病を生きて―きみたちに伝えたいこと―を読んで(2)

ハンセン病を生きて~君たちに伝えたいこと~を読んで

 

ハンセン病という名前と隔離されていたということは何となく知っていたが、随分と昔のことだと思っていたので、裁判が2001年とかそんな最近のことだと知って驚いた。私は自分たちがとても平和な国の平和な時代に生きていると思っていたが、私が知らないだけで今の日本でもこういった問題で苦しみの中で生きている人もいるのかもしれない、私はハンセン病に対する当時の国民のように無知ゆえに加害者になっていないだろうかと考えさせられた。

この本の中で最も読むのが辛かったのは、やはり宿泊事件のあとの自治体に送りつけられた手紙だ。裁判での勝訴の前、多くの国民は無知だった。きっと無知ゆえの加害者だった。だから良いとは決して言えないが、本にもあるようにその状態をつくった政府に重い責任があると思う。だが裁判が終わり、感染力が弱いことや患者は完治していて随分前から隔離の必要はないことが公になって国民は無知ではなくなったはずだ。そんな頃に送りつけられた手紙の数々は本当に恐ろしいと感じた。この本の初めの方に、人は体験しないと相手の気持ちがわからないなんてことはなくてきっと寄り添って考えることができるはず、というようなことが書かれていたが、この手紙を送ってきた彼らは本当に自分がその立場にならないと相手の気持ちが全く分からない人たちなのだろうと驚愕した。手紙には「税金」という言葉が多く見られたが、元患者の方々がお金なんかで変えられないものを失ったことすらわからないのは不思議で仕方がない。

その一方で、小中学生が大きな一歩を踏み出したことに驚いた。質問や作文から子供ならではの純粋さが伝わってくる。余計なメガネをかけていない子供たちがみると大人が気付かない間違いは瞬時に浮き彫りになっていく。無知ゆえの正しさもあるのだと思った。

 私の将来の夢は小学校の教師なのだが、清水先生のような生徒に経験し考える場をあたえることができる先生になりたいと思った。

ハンセン病に対しての目が厳しい中で伊波さんと結婚した看護婦の方もすごいなと思った。結果として離婚することになってしまったが、奥さんの子供を守りたい気持ちはよくわかる。悪いのは伊波さんでも奥さんでもなく、周囲の無知だ。子供を保育所にも預けられずマンションに住んでも周りからひとは去っていく。どんなに辛いことか想像もできない。裁判には勝ち、賠償金も支払われ、隔離生活も終わり一件落着したようにみえても、一度間違えると完全には修復できないのだと痛感した。いつになったらお父さんに会いに着ていいのかと問う息子さんの指を10本折り曲げたというところで本当に泣きそうになった。どんな気持ちだったのだろうか、それを10年後にととらえた息子さんが本当に10年後会いにきたことにどれだけ心が救われただろうと考えると胸がいっぱいになった。

 そして、裁判に勝って得た賠償金を発展途上国に寄付したということにも驚いた。想像を絶する苦しみの中にいた人がこれほどまで人のことを考え、優しくいられるのは本当にすごいことだと思った。

この本を読んで驚くことや学んだことが沢山あった。そしてこれから学んでいかなければならないことが沢山あることもわかった。これからの過ちを防ぐために過去の過ちを知り、考えていくことが必要だと痛感した。