マウスの解剖実験 3B18まつ

マウスを殺した。

解剖だろうがなんだろうがこの手で殺したことにかわりはない。
エーテルで麻酔をかけ、徐々に弱まっていく拍動を見ながら、生命の神秘を感じた。
正直そのときは殺すことに何も感じなかった。
動いていたものが動かなくなり、それをただ指示された通りに解剖していくだけ。

すべてが終わって、帰宅してふと自分の手に残る血の臭いを感じたとき、自分のした行為の意義が分からなくなった。
確かに生々しい臓器の様子、生から死への瞬間、生命の神秘といった日常では出会えないことを経験できた。
そういう意味でこの解剖には大いに価値があったと思う。
またこの解剖にはそういった意味合いはないが、解剖というもの自体にはこれからその他多くの動物を救うであろう研究に役立つ可能性を秘めている。
やはり解剖という行為の持つ意義は確立している。

日常生活を営む上でそのことに疑問を抱いたことはなく、また抱くはずもなかった。
だがふと我に返ったその瞬間、体が揺すられるような気持ちがした。

エゴだ。
どんな理由があろうとも、すべては人間のエゴに違いない。

たとえ地球上のすべての生物に利をもたらそうとも、殺されたマウスは殺されたいなど望んではいない。
すべては人間が人間を基準にして人間のために考えたこと。
それをあたかも正しいことのように正当化している。
何よりショックだったのは、そのことに気づかなかっただけでなく、気づいていないことにさえも気づいていなかったことだった。
 

当たり前を当たり前として受け取っていいのか。
そのことに気づかせてくれたこの授業に感謝します。
そういう意味で僕は、人間の僕自身にとって、この解剖に意義はあったと思います。

この授業で感じたことをさらに二学期の発表にも繋げることができました。